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ピッカリ注目!ひたむきな農業者の背中

やるべきことは変わらない/齋藤常浩さん

2016.10.07宮城県涌谷町 JAみどりの青年部(『地上』2016年1月号より)

一度はサラリーマンの道に進んだが、祖母の言葉に背中を押され、帰郷した。集中豪雨や東日本大震災など、ピンチを乗り越えてきた。取り巻く環境は厳しさを増しつつあるが、それで夢が変わるわけではないと、地に足をつける。

病床の祖母が「両親を助けてやってくれ」と。その言葉で、ようやくふんぎりがつきました

 山を背にした小高い丘に建つ牛舎からは、周囲が一望できる。10月下旬の午前6時。そろそろ日の出を迎える時間だが、ぼんやりと朝もやが覆い、まだ夜明け前という印象を受ける。
 そんななか、齋藤常浩さん(37)は眉間にしわを寄せ、牛の様子を1頭1頭確かめて回っている。ラジオからAM放送が流れているが、齋藤さんの耳には届いていないかのようだ。しかし、ミルカーが搾乳完了を知らせるサイン音を発すると素早く反応し、手際よく次の牛の搾乳に取りかかる。
 父の常雄さん(61)と母の千春さん(59)は、育成牛の世話をしたり給餌をしたりと、役割分担のなかで黙々と作業をこなす。餌を食む牛たちからは、白い息が立ちのぼる。
 作業が一段落したのは、午前8時。そこでようやく齋藤さんは顔を上げ、表情を緩めた。
「毎日、夕方の作業前にそれぞれの進捗状況を報告し合い、今日、明日なにをするかミーティングをします。情報共有ができて初めて、役割分担が機能するのだと思います」

涌谷町は仙台市から北東に車で約1時間。水稲や小ネギ、ホウレンソウなどの生産が盛んで、酪農家は23戸ある。また日本で初めて金が産出され、奈良・東大寺の大仏建立に献上されたという歴史がある

大学時代は応援団に所属。「渉外部長だった経験が、サラリーマン生活で生きたし、つらい練習に耐えたことは今でも自信になっています」と、齋藤さんは言う

1頭から長く乳を取る

 経産牛50頭、育成牛13頭のほかに、水稲7haを経営する。また、デントコーンなどの共同転作にも取り組む。酪農は祖父が始め、父が規模を拡大した。
「長男に生まれたんで、子どもの頃から将来は家業を継ぐものだという意識はありました」
 その意識はいつしか、牛の病気を治してやりたいという獣医への夢に変わった。しかし夢はかなわず、大学では家畜飼養学を専攻。卒業後は飼料メーカーに就職し、営業担当として神奈川県や鹿児島県で暮らした。
 いつかは帰郷して就農するという思いはあったが、ふんぎりがつかなったと、齋藤さんは率直に話す。
「でも、就農する前年に亡くなった祖母が、病床で『両親を助けてやってくれ』と。その言葉に、背中を押されました」
 こうして2008年、齋藤さんは帰郷し、就農した。
当初、齋藤家の酪農経営は大きな問題を抱えていた。自家繁殖・育成を基本としているが、生まれてくる子牛がことごとくオスで、数年後の経産牛の減少が目に見えていたのだ。
「就農した頃は、いずれ増えるだろうくらいに思っていたのですが、だんだんとこのままではまずいんじゃないかと思うようになって、焦りました」
 そこで齋藤さんが注目したのが、性判別精液だった。それまでは、育成牛には和牛の受精卵を移植し、経産牛にはホルスタインを人工授精していたが(一部は和牛受精卵移植)、10年ごろから、育成牛にホルスタインの性判別精液を人工授精する試みを始めた。
「両親は反対しましたね。従来のやり方でうまくいっていたわけですから。でも、状況は危機的でした。なので、親に黙って性判別精液を人工授精して、メスが生まれたら『ほら、メスでしょ?』というのを何回かやって、納得してもらいました」
 と、齋藤さんは人懐こい笑顔を見せる。ただ、現状の経産牛と育成牛の数を比較すると、もう少し育成牛がいると安心なのだと言い、話を続ける。
「それでも、事故(病死)を少なくして、1頭から少しでも長く乳を取っていけば、追いつけるくらいにはなりました」
 実際、13年と14年は年間を通じて1頭の事故も出さずに年を終えた。それも、手応えになっているようだ。

農業はノルマではなく、夢に向かって努力できる。それが魅力だと思います

JAみどりの青年部では、涌谷支部副委員長を務める。同支部には22人が所属。幼稚園・保育園児を対象にした食農教育活動や、野立て看板の製作、視察研修などの活動に取り組む。左は支部委員長の佐々木稔さん(37)

資源循環型農業の実践

 齋藤さんの経営の特徴は、もう一つある。それは、飼料自給の取り組みだ。そもそもは、輸入トウモロコシの高騰を受け、父をはじめとする地域の酪農家4戸と和牛繁殖農家1戸により、09年に「涌谷町飼料増産組合」を設立。くしくも齋藤さんが就農した翌年だった。10年には、県内初となる汎用型飼料収穫機を導入。齋藤さんはオペレーターの役割を担っている。
 自作地のほか、水田転作の作業受託を含めると、14年はおよそ70haで、デントコーンやWCS(イネ発酵粗飼料)用米を収穫した。
「現状では、栄養バランスを整えるために最低限の輸入品は必要なので、粗飼料の自給率は80%というところです。しかし、デンプン質を補給するデントコーンを粗飼料に入れられるので、濃厚配合飼料の低減につながっています」
 また、近隣にあるJAのカントリーエレベーターから籾殻を譲り受け、ふん尿を堆肥化。水稲や飼料作物に施用するほか、周辺の野菜農家などに販売し、地域ぐるみの資源循環型農業を実践する。販売先からの評判もよく、ふん尿はむしろ不足しているくらいだそうだ。

夢は粗飼料自給率200%

 それでもなお、経営はけっして順調ではなかった。齋藤さんは言う。
「10年の集中豪雨で、牛舎の土台が崩れ落ちました。さいわい建物は無事で、補強工事を施したのですが、11年の東日本大震災では牛舎にひびが入り、原発事故の影響で牧草が使用できなくなりました」
 きっと、これからも多くのピンチがあるだろうし、それを乗り越え、チャンスにしていかないといけないのだろうと、齋藤さんは視線を落とす。
「しかし、農業はノルマではなく、夢に向かって努力できることが魅力だと思います。ぼくは、粗飼料自給率200%という夢を掲げています」
TPP(環太平洋連携協定)が大筋合意の内容で発効すれば、乳価や廃用牛価格などの下落が見込まれ、とりわけ小規模な本州の酪農家への影響は避けられない。不安がないといえば、うそになるだろう。しかし、あえて触れるつもりはない。
「消費者の信頼を得て経営を続けていくためには、目の前の仕事をしっかりやること。それしかないんじゃないでしょうか」
 そう言って、牛舎の外に視線を移す。気がつけば、朝もやは遠くの山にわずかに残るだけとなり、秋の日ざしが齋藤さんと牛たちをやさしく包む。
「16年には長男が小学校に入ります。後継者になってほしいとは言わないつもりだけど、子どもが将来の仕事を考えたときに、家業を継ぐことが選択肢の一つになっていたい。だから、これからもコストを削減しながら、赤字にならないように。あっ、それはノルマかなあ……」
 そう言って、齋藤さんは声を上げて笑った。(2015年10月取材)


さいとう・つねひろ
1978年宮城県涌谷町生まれ。宮城県石巻高校、東京農業大学を卒業。飼料メーカーに勤務後、2008年に就農する。妻・祐子さん(36)、長男、長女、次男、両親の7人家族。趣味はよさこい踊りで、仙台市のチームに所属する。

地上編集部
写真家の光写真部

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