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ピッカリ注目!ひたむきな農業者の背中

悩みがあるから 明日がある/江本高幸さん

2015.11.27長野県中野市 JA中野市青年部(『地上』2015年12月号より)

少年時代、農業を継ごうという意思はなかった。 なにをするにも、わからないことばかり。 それを救ったのは、JA青年部の仲間だった。 耕作放棄地対策や食農教育活動に取り組み、 一丸となって、果樹産地の再興を夢見ている。

新しい品目に取り組もうと思ったら、知識がないのは当然。聞いて学ぶしかない

中野市は長野県の北東部に位置し、リンゴやブドウの栽培と、古くからエノキタケの栽培が盛んで、キノコ類や果樹のほか、野菜や花卉の施設栽培の先進地としても知られる

 リンゴ畑の緩やかな斜面からは、中野市の町並みや地域のシンボルでもある高社山が見渡せる。9月下旬の午前8時。日ざしはもう夏のものではなく、吹き抜ける風には肌寒ささえ感じる。
 まもなく訪れるリンゴの収穫シーズンを前に、江本高幸さん(32)は、色づき始めた果実のまわりの葉を落とす「葉摘み」に黙々と取り組んでいた。
「まんべんなく色づかせるための作業ですが、急にやると日焼けして傷んじゃうんで、ゆっくりと色づかせるのがポイントです。地味な作業ですよ」
 ときおり果実の色を確かめて、江本さんは一人、ていねいに葉を摘み取っていく。

青年部の仲間が師匠

「小さい頃から農作業を手伝わされて、いやいややってました。そうなると、農業を継ぐ気にはなれませんでしたね」
 農家の長男として生まれたが、あえて普通科の高校に進学。ガソリンスタンドでアルバイトしていた縁で、卒業後はその運営会社に就職した。結婚後も長野市内のアパートで暮らしていたという。
「2005年に長女が生まれたのですが、中国製の冷凍ギョウザの食中毒(07年)とか、食の安全・安心を脅かす事件があったじゃないですか。うちは農家なんだから、自分で作って子どもたちに食べさせてやれるじゃないかと、少しずつ思うようになったんですね」
 そんな折に、父が体調を崩した。働き手であった祖母も高齢になって、規模を縮小しようかという話にもなった。そこで、江本さんは会社を辞める道を選ぶ。こうして09年11月、農業者となった。
 就農当時、経営の中心はモモとリンゴで、冬場にエノキタケを生産していたが、4年ほど前からブドウ栽培に取り組み、近年はスイカやレタスなど野菜を生産。JAの直売所に出荷するまでになっている。
「エノキは施設や資材が老朽化したうえ、採算も取れなくなっていたので、昨シーズンから撤退しました。収入を補う必要があったし、品目は、まあ、妻が食べたいって言うものをね」
 と、照れを隠すように声を上げて笑う。ブドウはリタイアした農家の園地を借り、整地して棚を張り直した。野菜については、かつてグリーンアスパラガスを生産していて荒地となった圃場を活用。近い将来、ブドウ畑に再整備する予定だ。
 しかし、高校や農業大学校で学んだわけではなく、サラリーマンを経てそのまま就農した江本さんには、技術や知識の面で不利があった。
「とりわけ肥料や防除についての知識は、ないも同然でしたからね。ブドウは作っている青年部の仲間に、今でもなにかあるたびに聞いて、見に来てもらっています。知らないのだから、聞いて学ぶしかないですよね」

リンゴは県内で「りんご三兄弟」としてPRされる『秋映(あきばえ)』『シナノスイート』『シナノゴールド』のほか『ふじ』を生産。ブドウは『シャインマスカット』を栽培している

地元小学校の児童と共に栽培する大豆畑。2年生の生活の授業の一環として、畑の名前を児童が年ごとに考え、看板を作って親しまれているという

「俺の味噌」の商品化

 江本さんが所属するJA中野市青年部長丘支部は、盟友数13。ほとんどが果樹やキノコの生産者だ。しかし、代表的な活動は、大豆の栽培による食農教育活動と、みその販売である。
「もともとは、耕作放棄地の問題をなんとかしたい、という思いから始まったんです」
 作業の手を止めることなく、江本さんは言う。周囲の静寂を打ち破るように、鳥よけの空砲が耳をつんざく。リンゴ畑には、カラスが嫌うナイロンネットが張りめぐらされている。
 果樹だけでなく、前述のとおりグリーンアスパラガスの生産者も多くがリタイアし、耕作放棄地は年々増えているという。
「おれが就農してすぐの頃、支部の会議で『耕作放棄地に大豆をまいて、豆腐でも作って一杯やりてぇなあ』と言いだしたメンバーがいて、じゃあやってみようかと、軽いのりでした」
 江本さんはとぼけるように笑うが、10年、JAの紹介で30aの畑を借り、3、4日かけて畑に整備。大豆栽培をスタートさせた。初めてのことだけに苦戦し、夏場は雑草との闘い――メンバーは何度となく集まった。そのかいあって、秋には600㎏を超える収穫を実現させた。
「地元の豆腐店にアドバイスを受け、ニガリの量とかを試行錯誤して、念願の〝豆腐で一杯〟は実現しました。ところが、そのために使った大豆は、わずか10㎏。つまり590㎏の大豆が余ってしまったんです」
 そんな折、交流があった地元のみそ製造業の経営者から、青年部オリジナルのみそを造ったらどうかと提案を受けた。これは6次産業化につながるかもしれないと、メンバーはがぜん活気づく。こうして11年、自らの手で育てた大豆と、中野市産の米を使ったオリジナル商品「俺の味噌」が誕生した。
 この年からさらに30aの耕作放棄地を整備し、規模を倍増。地元小学校の生活の授業にとり入れられ、食農教育活動としての顔を持つようにもなった。
「俺の味噌」はJAの直売所で販売するほか、地元の洋菓子店の協力で、「俺の味噌」を原料とした「俺の味噌プリン」、ラーメン店による「俺の味噌ラーメン」などのコラボ商品に発展。いずれも不定期のメニューではあるが、その存在は着実に地域に広まりつつある。

おれたちは果樹農家。耕作放棄地は、やっぱり果樹園として復活させたい

JA中野市青年部長丘支部は、大豆栽培の食農教育活動やみその委託製造・販売のほか、マメコバチの巣の交換や人工授粉用の花粉を採集する作業受託などの活動を展開する

未来の担い手のために

「おれたちは果樹農家。耕作放棄地は、果樹園として復活させることが、最終的な目標です」
 いま考えているのは、耕作放棄された果樹園を整備し直し、苗を植えること。リンゴの木は収入が見込めるまで生長するのに、10年くらいかかる。その間に、新規就農者を中心に借り手を確保したいのだという。
「収穫が始まると、自分の畑でいっぱいいっぱいになるけれど、苗や木の手入れだけなら、みんなで手分けすればできるんじゃないかと思うんです」
 しかし、新たな担い手を確保できる保証はない。そこが悩みどころですよねと、江本さんは率直に話す。自身の経営規模を拡大するといった今後の展望も、正直決めかねているという。
「でも……まあ、農家って忙しくてもそうでなくても、日があるうちは働き続けちゃうじゃないですか。夜がなかったら体がもちません。また明日、がんばるしかないんです」
 悩みはある。だからこそ、立ち止まってはいられない。江本さんの作業の手は、休まることがなかった。(2015年9月取材)


えもと・たかゆき
1983年長野県中野市生まれ。モモをはじめ果樹1.5haを中心に経営する。2015年2月に開かれた第61回JA全国青年大会「JA青年組織活動実績発表全国大会」で関東・甲信越ブロック代表として発表した。

地上編集部
写真家の光写真部

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