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トウガラシ「香川本鷹(かがわほんたか)」 400年の歴史を持つ逸品

2016.11.07高田正明さん 香川県丸亀市(JA香川県管内)

瀬戸内海に浮かぶ塩飽(しわく)諸島に、400年前に伝わったトウガラシ「香川本鷹」。一時とだえたと思われていたが、平成16年に復活。島の人口減少に伴い、ふたたび厳しい状況に置かれている。再興をめざして作り続ける生産者を訪ねた。

手島の風土が育む「トウガラシの王様」

香川本鷹の収穫は8月から11月ごろまで続く。9月に収穫したものがもっとも鮮やかな赤色に仕上がる

瀬戸内海に散在する塩飽諸島の手島

 香川県の丸亀港を出発し1時間ほどフェリーに揺られると、牛島、本島、広島と、塩飽諸島の大小さまざまな島々が現れてくる。江戸時代を中心に、歴史に名を残す輸送集団・塩飽水軍が活躍した海域だ。古くから交易の要衝として栄え、腕のよい船乗りや船大工を輩出した。この塩飽諸島の手島で、幻といわれるトウガラシ「香川本鷹」が作られている。
 手島へ向かうフェリーと客船は1日に4、5便。丸亀港から1時間半ほどかかる手島は、周囲約10kmの小さな島だ。かつては畑作が盛んで、葉タバコやミカンなどが生産されていた。島内の道は見通しが悪い三叉路(さんさろ)が多い。水軍が外からの敵に備えた名残だという。
 手島で栽培されている香川本鷹は、香辛料として用いられる辛み品種。成熟した香川本鷹は、辛み成分であるカプサイシノイドの含有量が『鷹の爪』の約3.8倍と、日本の代表的な在来品種のトウガラシの中でもっとも多い。
 果実の長さは約8cm、太い部分の直径は2cmほどと大ぶりだ。草丈は1.5m程度まで伸び、果実は枝の股から天に向かって上向きに着果する。
「まさにトウガラシの王様といった風格でしょう。乾燥させると、透きとおったルビー色になります。辛みはピリッと刺激がくるのではなく、じんわりと広がり、角がなくまろやか。香り高く、料理に入れると独特のうまみが出るのも特徴です」
 そう話すのは、生産者の高田正明さん。平成18年から、手島で香川本鷹の栽培を続けている。
 日本のトウガラシの輸入量は年間約1万2000t、金額にして約55億円に及ぶ。重量ベースで、そのうちの8割以上を中国から輸入している(平成26年、財務省貿易統計)。一方、国内生産量は、昭和38年には年間7000tほどあったが、平成24年には300tほどまで減少し、国内消費の多くを輸入に頼っている。香川本鷹のような国産トウガラシは貴重な存在だ。

乾燥させた香川本鷹。果肉が厚く、実が大きいので中に水分がこもりやすい。乾燥作業がもっとも気を使うポイントだ

至る所に見られる三叉路。右手前の建物のように、杉板を縦方向に重ねて張った壁が印象的な景観をつくる

ござの上で約3か月天日干しして、採種する

ピクルス用にかつては輸出も

 香川本鷹が塩飽諸島に伝わったのは400年ほど前とされる。豊臣秀吉がおこなった朝鮮出兵のさいに、功績を上げた塩飽水軍が戦利品として種を拝領し、この地に広めたという。
 昭和40年代ごろまでは盛んに栽培され、国内消費のみならず、ヨーロッパを中心に、海外へもピクルスの材料として輸出されていた。しかし、昭和50年代半ばには、安価な輸入品に押されて生産がとだえ、品種としても絶滅したとみられていた。
 転機が訪れたのは平成16年。当時、県の農業経営課で郷土の野菜を研究していた糸川桂市さんが、香川本鷹の形質をもつトウガラシを栽培している三豊(みとよ)市詫間(たくま)町の農家と出会い、種子を譲り受けた。
「大学時代、恩師から『香川におもしろいトウガラシがある』といわれた記憶を頼りに、農家を一軒一軒回りました。この種を使って、島おこしができないかと考えたのです」
 と、当時を振り返る糸川さん。
 糸川さんの呼びかけに応じて、行政・JA・加工業者が力を合わせ、18年に香川本鷹の復活プロジェクトを立ち上げた。
「目標は、過疎が進む島に特産品を作り、活気を生み出すこと。さらに、歴史ある農産物の生産を通じて、『島でも勝負できる』という誇りを島の内外に示すことでした」
 と、プロジェクトに携わったJA香川県の奥田義雄さんが話す。
 行政が栽培法の確立や生産者の支援をおこない、JAが生産物の集荷や輸送などを担った。そして、業者が一味や七味唐辛子などの加工品を作り、消費者の元へ届けた。
 プロジェクトには高田さんをはじめとした塩飽諸島の農家8戸が呼応し、生産部会を結成した。
「実が軽くて扱いやすく、乾燥さえきっちりすれば日もちする。輸送コストが抑えられ、青果のように鮮度を気にする必要もない。船での輸送が必要な、離島に合致した農産物としての条件がそろっていました」
 と、高田さんは言う。
 手島の環境もトウガラシの栽培に適していた。試験栽培を重ね、雨が少なく乾燥した島の気候と水はけのよい砂壌土が、辛みを強く引き出すことがわかった。また、香川本鷹は交雑しやすい性質を持つ。周囲に他の作物の畑が少ない離島という条件が、形質を維持するためにも功を奏した。
 18年には約10aの農地で、乾燥重量で100kgほどの生産に成功。そして、最盛期を迎えた21年には、約1tを出荷し、島の新たな産業として期待を集めた。

香川本鷹を手島で栽培している高田さん。高田さんをはじめとして、島に住む人々の多くは塩飽水軍の子孫といわれる

香川本鷹を使ったナスの煮物(手前)と、赤く色づく前の香川本鷹を使ったトウガラシのつくだ煮。島では煮物や炒め物などの料理に香川本鷹が欠かせない

島に植えるヒマワリの種を採取する高田さん一家。トウガラシの生産も家族が協力しておこなう

島の未来と共に二度めの復活をめざす

 一度は復活した香川本鷹。しかし近年、ふたたび危機に直面している。島の人口減少に歯止めがかからず、栽培の担い手がいないのだ。平成元年には、100人以上の島民が手島で暮らしていたが、島外への人口流出と高齢化によって、その数は年々減ってきている。27年8月現在、手島に住むのは21戸32人。ほとんどが60歳以上の高齢者だ。そして今では、塩飽諸島で香川本鷹を生産するのは高田さん一家のみとなっている。島の生産部会は解散し、行政やJAも次の一手を講じることができない状態だ。
「島に古くから伝わっていた香川本鷹を絶やしたくない、という思いが強いのです。自分たちの手で復活させたものなので、なんとか守っていきたいという一心です」
 と、高田さん。以前より規模は縮小したが、3aの畑で500本の株を栽培し、年間100kgの香川本鷹の生産を続けている。目標は出荷だけではなく、品種の保存。自家採種をし、香川本鷹本来の形質を色濃く残すものを栽培している。
 そして、高田さんは香川本鷹だけでなく、島の未来も切り開いていこうと力を注ぐ。廃校になった中学校を転用した、島唯一の宿泊施設・手島自然教育センターの管理人を務め、県内外から年間1000人の観光客を迎えている。さらには、ヒマワリを毎年8000本植え、観光客の目を楽しませるなど、島の魅力を生み出している。
 こうした努力が実を結び、手島を訪れる人の中には「島に移住したい」「香川本鷹を育ててみたい」と興味を持つ人も出てきているという。高田さんはそうした希望の芽に、少しずつだが手ごたえを感じている。
「トウガラシとしての品質は最上級。島の風土にも合っている。生産の担い手が一人でも増え、加工・流通・販売の経路さえ確立すれば、またきっと島の香川本鷹を復活できます。それまでなんとか守り伝えていくことがわたしの役目です」
 赤く熟した果実を見つめて、高田さんはそう話す。

※『家の光』2015年11月号から。
情報は取材当時のものです。

取材
写真吉田真也

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