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ピッカリ注目!ひたむきな農業者の背中

一人の声を届けたい/善積智晃さん

2017.01.18熊本県美里町 JA熊本うき青壮年部 2016年度 JA全青協会長
(『地上』2016年6月号より)

全国およそ6万のJA青年組織盟友のリーダーは、少年時代から就農、現在に至るまで、どんな道のりを歩んできたのだろうか。農業や地域、JA青年組織活動への思いを聞きに、熊本県を訪ねた。

ずっと野球をやっていて、甲子園も夢でしたが、 ゆくゆくは農業をするつもりでいました

「ちょうど卒業式用の花の出荷が一段落してですね、5月の母の日に向けてカーネーションを管理しているところなんで、今はまったく花がない時期で……」
 善積智晃さん(36)は、申し訳なさそうに、おっとりとした熊本弁で話す。鉢を倒さないよう、ホースを背負うように首に回し、1鉢ずつ、ていねいに水やりをする。300坪の連棟ハウスの中に、6000鉢のカーネーションが整然と並ぶ。
 まだ風に冷気をはらむ3月下旬の、午前8時。四方を山に囲まれたハウスのまわりではヤマザクラが満開を向かえ、ウグイスの声がこだまする。

メロンから花卉へ転換

 3人きょうだいの長男として生まれた。いつも一つ年上の姉の後をついて回るような子どもだったというが、小学校に入ると野球に没頭。児童会長も務めた。高校進学にあたっては、甲子園を狙える強豪校も視野にあったが、担任教師の勧めもあり、県立熊本農業高校に進む。
「ゆくゆくは農業をするという思いはありました。それに、母校も野球は弱くなかったんで」
 寮生活で、野球と勉強の毎日を過ごし、1998年、卒業と同時に就農した。
 就農当時、両親は水稲とメロンを生産していた。そして2年めから、メロンを縮小して花卉へとシフトしていく。
「父の代に町内(旧・砥用町)の4軒で始めたメロンは、多いときには20軒が生産する特産品でした。しかし、わたしが就農した頃は、もうバブル景気は終わっていましたし、嗜好品として扱われるメロンの需要は高くなくなっていました」
 一方で、99年に熊本県で開催された国民体育大会に向けて、プランターなどに植える花苗の需要が高まっていた。メロンのハウスを活用できたことも、転換のきっかけとなった。
「近くの花卉農家が勧めてくれたのですが、親もわたしも花はまったく経験がなかったので、一から教えてもらいました。今でも、わからないことがあれば聞きにいったり、見にきてもらったりしている師匠ですね」
 しかし、取り組み早々に出はなをくじかれる出来事があった。99年9月、全国で31人が犠牲となった台風18号で、ハウスが倒壊したのだ。
「パンジーなどの花苗を作り始めた矢先でしたが、建て直したハウスからしだいに鉢花の生産に切り替えていきました。そういう意味でいえば、一つの転機になったと思います」
 以降、シクラメン、カーネーション、ガーベラを中心に鉢花を生産している。

美里町は熊本市から南東へ約30km、熊本県のほぼ中央に位置する。総面積の約4分の3を森林が占める中山間地域で、農地もその大部分が棚田などとして利用されている。町内を流れる緑川を中心に水稲のほか、グリーンアスパラガスやカボチャなど野菜の生産も盛ん

高校時代は学業の成績もよく、大学進学を勧める声もあったが「勉強はあまり好きじゃなかったからやめました」と、善積さんは謙遜する

経営をよくするために

 しだいに日は高くなり、ハウスの中は春の陽気に包まれてきたが、善積さんはカーネーションの水やりを黙々と続ける。
「わたしは同級生の仲間と同時期に就農しましたが、専業では、旧・砥用町で二十数年ぶりの農業後継者だったんです」
 つまり、それは20代、30代の若手農業者がいなかったということ。40代となれば、もう両親の世代だった。善積さんは就農と同時に、父と交代するかたちでJA熊本うき青壮年部の仲間となり、2005年、25歳で下東地区砥用支部の支部長に就任する。
「すぐ上の先輩が50歳になって『いいタイミングだから代われ』という話になって……」
 と、善積さんは苦笑するが、そこから同地区部長を経て、JA熊本県青協副委員長、同委員長、九州沖縄地区農協青年組織連絡協議会委員長、JA全青協理事、同副会長とリーダーを務め続け、16年度、全国6万人の盟友を代表するJA全青協会長に就任する。
 JA青年組織は、盟友一人一人の農業経営をよくするためにある、というのが善積さんの持論だ。経営をよりよくするために、一人ではできないことを、みんなで集まって実現する。そのことをしっかり押さえていれば、“青年組織活動に時間をとられて、自身の営農に取り組めない”という不満の声は少なくなるはずだと話す。
「たとえば、イベントへの出店や食農教育といった地域活動は、地域への貢献という側面と、地域の信頼を得て、自身の安定した経営につなげるという側面があると思うんです。活動の目的を理解することが、たいせつなんだと思います」
 そのために、16年度は単位組織でのポリシーブックの作成と活用の促進に、JA全青協として力を入れたいという。ポリシーブックとは、自分たちの農業経営の悩みや地域の課題を出し合い、その解決に向けてみずから取り組むべきことや、JAや行政に要望・提言することなどを整理した、いわば“目標・政策提言集”である。
 5年ほど前から進めてきたが、それぞれのJA青年組織(単組)では、全国の半数以上が取り組めていないのが実情だ。
「加えて、日本は多種多様な農業が営まれていますし、都市部から中山間地域まで、地域が抱える課題もさまざまです。それぞれの単組版ポリシーブックを集約して、都道府県版、全国版とまとめていくのですが、どうしても課題が抽象的になり、“一人の声”が反映されづらくなることは否定できません」
 そこでJA全青協では、執行部が全国6つのブロックを個別に訪問。ポリシーブックをより多くの単位組織で作ることで、仲間同士が課題を共有し、より明確な目的を持って活動に取り組めるようサポートする方針だという。
「単組版のポリシーブックが充実すれば、農業の現状をより具体的に国民に伝えることができます。この国に農業は必要なんだと、多くの人に理解してもらえると思うんです」
 善積さんは力を込めて、さらにこう続けた。
「青年組織活動が盛んなところは、地域農業も盛んです。一方で、5人くらいの小さな支部でも、活動をがんばっているところがある。そういう人に日が当たる政策を求め、日本農業全体が元気になる流れをつくっていきたい。そのために、農業者の団結力、JAグループの結集力を示す。それがJA青年組織の担うところだと思っています」

がんばっている人に日が当たる政策を求め、日本農業全体が元気になる流れをつくっていきたい

鉢用の土を調合する。鉢花のほか、少量ではあるが野菜苗を生産。地元住民の自給用などに販売もしている

JA熊本うき青壮年部下東地区砥用支部の仲間と。毎年11月下旬に開かれる地区のJAまつりでは、ホルモン鍋を振る舞ったり、リンゴを仕入れて販売したりするなどしている

つねに前に向かって

 善積さんが所属するJA熊本うき青壮年部下東地区砥用支部は、現在7人が所属。JAまつりに備えての草刈りや当日の出店、視察研修、手作り看板の製作とコンクールへの応募などを柱に、活動を展開している。
「わたしは早くから、県や全国での活動が中心で、支部活動は仲間に任せっぱなしでした。地元の支えがあってここまでやってこられたので、ゆくゆくは地元のためになることをやらなければいけませんね」
 と、善積さんは感謝の言葉を口にする。現在の経営規模は、花卉45a、水稲1.3haと、けっして大きくはない。
「花は鉢物なので連作障害もないし、年間2作、3作とフル回転させれば、この中山間地域でも専業で農業ができる。その分、家族もフル回転ですから、親がリタイアしたら、一人で続けていくことは難しいでしょう」
 農地の維持や技術の継承のためにも、新たな後継者はもちろん、通年で従業員を雇う必要性を感じている。規模の拡大が望ましいのか、新たな品目に挑戦すべきなのか、将来への明確な答えは、まだ出ていない。
「いずれにしても、わたしたちの経営をよくして、もうかっている姿を見せないと、新しい人は来てくれません。仲間と共に、つねに前に向かって力と意思を結集して、夢や希望が持てる農業を実現させたいですね」
 そう言うと、善積さんは水やりの作業を一段落させ、深い息をつく。ホースの片づけに取りかかったそのとき、正午を知らせるサイレンが、山から山へと響き渡った。(2016年3月取材)


よしづみ・ともあき
1979年熊本県砥用町(現・美里町)生まれ。県立熊本農業高校を卒業後、98年に就農。花卉45a、水稲1.3haを経営する。JA青年組織のリーダーとして、九州農政局・九州地域教育ファーム推進協議会委員などを歴任。

地上編集部
写真本野克佳

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