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ピッカリ注目!ひたむきな農業者の背中

挑戦しなければ なにも生まれない/清水琢也さん

2017.01.19岐阜県飛騨市 JAひだ青年部(『地上』2016年7月号より)

2016年2月に開かれた第62回JA全国青年大会「JA青年の主張全国大会」で、最優秀に輝いた。農業を「魅力ある地域産業」にしようと訴えた彼はいま、どんな課題に直面しているのか。そして、解決に向けて地域や青年部の仲間とどう取り組んでいるのだろうか。

 通称「天空の村」──。飛騨市・旧神岡町の中心部から、山道を上ること、40分。4月下旬ではあるが、家々にはまだ人の背ほどにまきが積み上げられている。四方を囲む山の向こうには、真っ白な雪に覆われた北アルプスの尾根がそびえる。
「ここは山之村という集落で、標高は900m。冬は2mを超える雪に閉ざされ、気温はマイナス20℃まで下がります。4月でも霜は降りますし、氷が張ることもありますね」
 清水琢也さん(39)は、パイプハウスにビニールを張る準備をしながら、笑顔を見せる。古くから住民の手で植えてきたというスイセンが、ここかしこに咲き誇り、春の訪れを告げる。
 1977年、3人きょうだいの末っ子として生まれた。高校への入学を機に親元を離れ、卒業後は高山市でサラリーマン生活を送っていた。そして、後に妻となる由美子さん(41)との出会いが、大きな転機となる。
「妻の実家も県内の山間部で農業を営んでいて、話が合いました。2009年に結婚して、共働きをしながら、市民農園とかで野菜を作りたいねと話をしていたら、すぐ翌年の春、30aの田んぼを借りたから仕事を辞めたと言われたんです」
 急な話で驚いたが、同時に、一つの思い出が脳裏をよぎったと、清水さんは振り返る。
「小学校低学年の頃、当時は和牛の肥育も手がけていた両親を手伝い、楽しかったことを作文に書いたんです」
 また、夏どりホウレンソウの産地化を実現して全国表彰され、NHKのテレビ番組に仲間と共に出演する父の姿を、画面越しに見た記憶もよみがえった。
「農業にまつわるいろんな思い出が、ぼくの根っこにあることを知って、農業をやりたいという思いが湧いてきました」
 11年、清水さんはサラリーマン生活に別れを告げ、就農への準備に入る。そして12年に山之村へ帰ってきた。

岐阜県の北東部、富山県との県境に位置する。山之村は、昭和の中ごろまでは鉱業で栄え、多いときの人口は1000を超えていたが、現在はおよそ140人が暮らす

「年間を通じた雇用の実現をめざしたいが、現状は4月中旬から5月中旬ごろまで、完全な農閑期になってしまう。この時期に仕事をつくれれば、安定して従業員を確保できる」と、清水さんは経営の課題を述べる

パート従業員も戦力に

 帰郷してすぐは、土と向き合うことの喜びや、かつての顔なじみとの再開に胸を躍らせたが、しだいに、山之村が抱える大きな問題に気づく。
「山之村小中学校は、ぼくが子どもの頃は全校で30人くらいの児童・生徒がいましたが、今は8人。昔は紅白に分かれて応援し合った運動会も、行ってみたら1チームだけでした」
 地元の鉱山に勤務する友人が、神岡町の市街地や高山市に家を買って、地元に通うようにもなっていた。清水さんは言う。
「1人、また1人と山之村を出て行ってしまう。ここは人が減るいっぽうの村だということを、思い知らされましたね」
 夏どりホウレンソウは、5月下旬から11月上旬にかけて出荷する。冬は地元に伝わる保存食「寒干し大根」を生産しているが、ここにも、山之村ならではの問題があった。
「パートさんの人手不足です。せっかくお願いしても、よりよい条件の話があって断られてしまったら、代わりの人はそうそういないので……」
 しかし、そんな清水さんを奮い立たせたのが、青年部の仲間のひと言だったという。
「農業は、パートさんも含めてみんなでやらないと、成功しないと言われたんです。お手伝いさんではなく、貴重な戦力としてだいじにすべきだと」

目標設定で意欲を向上

 そこで清水さんが考えたのが、“職場環境の改善”だった。
「まず手始めに、パートさんの作業を体験してみました。すると、動線が悪かったり、作業台の高さが椅子と合わなかったりすることに気づきました」
 さっそく、流れ作業のコンベヤーなどの配置や高さを修正。重量計はホウレンソウを置くと目盛りが葉の下に隠れてしまうタイプのものから、上部にデジタル表示されるものに買い替えるなどの改善を図った。
 続いて取り組んだのが“目標の設定”である。パートさんの人員から一日の出荷数量の目標を定め、達成した日には“大入袋”を出すことにした。
「お小遣いにもならないボーナスですが、パートさんの休みが減りました。どうやら、自分が休んで目標が達成できなかったら、みんなに悪いと考えているようです。それもあって、日ごろからみんながみんなに感謝するようになったと感じます」
 もちろん、想定外の残業などが発生することのないよう、計画的な収穫にも気を配る。いかにして従業員の高い士気を保つか。ここに、サラリーマン時代の経験が生きているという。
 清水さんは今シーズン、地域の大規模生産者への視察に、パートさんたちを連れて行こうと画策している。
「刺激になると思いますし、帰りにおいしいものをごちそうして、士気を高めようと」
 そう言うと、清水さんから白い歯がこぼれた。

ぼくらは楽しくやっている。そんな雰囲気が、だんだん伝わっていけばいいのかなと思っています

選別や出荷調製をする作業場には、著名人などの座右の銘が掲げられている。「そういう言葉に影響を受けやすいんです」と、清水さんは苦笑する

寒干し大根は、地元の女性による「すずしろグループ」が商品化。2013年に一般財団法人食品産業センター「本場の本物」に認定。15年にはイタリア・ミラノ万博に出品された

JAひだ青年部高原地区の仲間と。地元の子どもたちへの食農教育や、JA祭への出店、視察研修などの活動をしている

まずはやってみること

 その一方、過疎の村をめざす若者の存在が、大きな励みになっていると、清水さんは言う。
「田舎暮らしをめざして移住し、就農した人もいます。そのほかにも、キャンプ場や観光牧場で働く人、ワラビ粉を作って生業にしたいと移住してきた人……彼らにとって、山之村は魅力がある場所だということですから」
 もちろん、そんな若者を冷ややかな目で見る人もいないわけではない。それでも、彼らに期待しないわけにはいかないと、清水さんは語気を強める。
「最初からうまくいかないことくらい、彼らだってわかっています。でもやってみなければ、なにも生まれない」
 清水さんは帰郷してから、年の近い仲間と新規移住者を交えて、夏至の日に「キャンドルナイト」という名のイベントを開いている。初めは4人で開いた“ただの飲み会”が、わずか3年で30人規模に膨れあがった。東京や名古屋に出て行った幼なじみが、わざわざ帰省して参加するようになったからだ。
「全国的に人口が減少しているわけだから、ぼくたちはそれ以上のがんばりを見せないといけないでしょう。それと、ぼくらは楽しくやっている。そんな雰囲気が、だんだん伝わっていけばいいのかなと思っています」
 この村が好きだからと、清水さんは言う。子どもたちの笑い声が絶えない村に、出て行った仲間が、いつかは帰ってきたいと思える村に──。

挑戦してこその達成感

 清水さんはそんな思いを、JA全国青年大会で発表し、最優秀となるJA全中会長賞に輝いた。全国大会の直前、最後のリハーサルとして選んだのは、山之村で開かれた「雪上運動会」だったという。
「地元の知っているみんなの前で発表するのが、いちばん緊張しますからね」
 そこには、お世話になっているパート従業員の姿もあった。そして、山之村以外の集落に住む、JAひだ青年部高原地区の仲間の姿もあった。
「発表をすることになっても、初めは及び腰でした。でも14人という少人数の地区なので、だれかがやらなければ、活動は成り立ちませんから」
 と、清水さんは苦笑し、仲間への感謝をこう述べる。
「振り返ると、発表することが決まってから、県や東海北陸ブロックの大会をはじめ、打ち合わせなどで本部のある高山市に行ったり、岐阜市に行ったりもしました。その道中の車や電車の中や、飲み会での話の一つ一つが宝物です。会話しやすい雰囲気が自然とできて、とても心地よかった」
 最優秀という結果だったこともあるが、挑戦しない人に、達成感は味わえない。清水さんは最後にそう言った。そのまなざしは、山之村への思いを語るときと同じものだった。(2016年4月取材)


しみず・たくや
1977年岐阜県神岡町(現・飛騨市)生まれ。県立船津高校(現・飛騨神岡高校)を卒業後、高山市で木工や警備関係の会社に勤務。2012年に帰郷して就農。夏どりホウレンソウ1haと、ダイコン30aを生産する。妻と長女、次女、両親、祖母の7人家族。

地上編集部
写真家の光写真部

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